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半兵衛

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    いかつい顔してます。でも気持ちは柔らかいですよ。 背後の本棚に収まっているのは、角川文庫やらなにやら(笑) 新しい本棚の前で、ちょっと自慢気味?

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2008年11月25日 (火)

杉本画伯の銅版画展

今日から30日まで杉本先生の所属する銅夢版画工房の版画展が、銀座アートスペース4Fで開催されています。

夕方、息子と一緒に行って参りました。

杉本先生の新作は1点「笑観音」とタイトルされた作品で、無表情で何かを考えている観音様の頭部にたくさんの小さな観音様の頭部が生えていて、それらがすべて微笑んでいるという絵柄です。

無表情の大きな観音様と笑みを浮かべているたくさんの観音様の対比がすごくて、何度も見入ってしまいました。

邪気のない笑顔というのは筋肉の関係でとても難しいものなのだそうで、私なども気まぐれで絵を描く時など笑顔は難しくてどうしても無表情になってしまいます。それか、何か企んでいる厭らしい笑みになってしまいます。

スペースの関係で、展示する作品は一人2点までだそうで、杉本先生のもう1点はお馴染みの蔵書票10枚セットでした。すべて外国の方から依頼されて作られたものばかりで、中にはハッキリと女性の性器が描かれているものもあり、息子に見せないようにと杉本先生もがんばってくださいましたが、結局見つかってしまいました(笑)

でも別にそれほど難しく考えることもないでしょう。芸術作品なのですから。

2008年11月22日 (土)

こんな記事を見つけました。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081118bk02.htm

来月にも、金田一耕助研究の雑誌が出るみたいです。二松学舎大学が、これからの横溝正史研究の牙城になるのでしょうか。

2008年11月14日 (金)

古書目録

O舎から古書目録が届いた。

ちょっと購買欲をそそられるものもあるが、とても手が出ない値段である。

2008年11月13日 (木)

年末恒例・忘年会オフについて

気がつけば、今年も残すところひと月半となりました。

毎年恒例の忘年会を下記の予定で行いたいと思います。

日時:平成20年12月27日(土)18:00~
場所:新宿・渋谷駅付近の居酒屋(店名未定)

お店については、決まり次第告知させていただきます。

まだ、先の話で予定がたたない方も居られると思いますが、
事前に人数も把握したいので「参加できそう」というのでも
構いませんので、連絡ください。

また、今年も集合しての「横溝正史先生のお墓参り」は行いません。
各自にお任せします。
行き方については、春秋苑のホームページをご覧ください。
http://www.shunjuen.or.jp/index.htm 

2008年11月 9日 (日)

「病院坂の首縊りの家」照らし合わせ完了

ずいぶんかかったけれども、土曜日の夜から今日にかけて馬力をかけて頑張ったために、昼前、ついに照らし合わせが完了した。

完了した感想といっても特にないが、思いがけず大量の削除部分があったことに驚いた。さらに加筆もあり、横溝正史先生がこの作品を大事に思っていたことが強く伺われた。

当時のことを思い出してみるに、単行本の発売が遅れたのは、横溝先生のこれらの作業があったからではないだろうか。

私が「病院坂」を通して読んだのは、この単行本によってである。「野性時代」は毎月購入できるほどのこづかいを貰ってはいなかったし、たとえ購入できるだけのこづかいがあったとしても、わざわざ「病院坂」だけ読むためには買うことはしなかっただろう。

それだけに単行本の発売が待ち遠しかったのである。当時はもちろん今と違ってインターネットで発売日を知ることもできず、本屋さんに尋ねることしか出来なかった私は高校生であった。

それに単行本の値段も、当時の私のこづかいで買うには、前もってのかなりの節約が必要であった。今現在所持している本は、発売されたばかりの本を購入し、大事に大事に読み、大切に大切に本棚に収めておいたものである。

帯もカバーもいくらか日に焼けたり色あせたりしているし、シワや折れが目立つようになってしまったが、それでも中身は綺麗なままである。

書店の棚に「病院坂の首縊りの家」の単行本が並んだ日のことを思い出す。

学校帰りにいつもの書店に立ち寄った私は、黒い背表紙の、いつも見なれているのより大きいのが平に積まれているのを見つけた。そばによるとお馴染みの杉本一文先生の描くおどろおどろしい表紙絵が私の目に飛び込んできた。南武風鈴の中に目が描かれたその表紙絵が。

すぐさまそれを手にとって、否、一番上からではなく、2,3冊下から引っ張り出したはずだ、私はレジにそれを持っていった。カバーをかけてもらい、丁寧に学生カバンの中にしまった私は、自転車を飛ばし帰宅した。机の上に本を置き、何度も何度も表紙をめくろうとし、そのたびに手を引っ込めた。すぐに読みたい気持ちとそんなにすぐに読んでしまって良いのかという躊躇する気持ちが拮抗していたのだ。

しばらくそんなことをしていた私はやがて気持ちを固めると、本を机の鍵のかかる引き出しに入れ、鍵をかった。時間のある時にゆっくり読もうと思ったのである。

だから実際に読んだのは、それからしばらくした日曜日だったと記憶している。その日曜日一日かけて読んだのだ。その面白かったことと言ったら! それに最後に金田一耕助が失踪してしまったことが無性に悲しかった。

だが私は知っていた。近いうちに横溝先生の新連載が始まることを。否、知っていたと云うよりも希んでいたことを。それもそう遠いことではないことを。そうしてその時は、今度こそ毎月「野性時代」を購入しようと決意していたことを。

そしてそれは叶えられた。だがそのことはまた別のことである。

2008年11月 5日 (水)

訂正

等々力警部の定年退職した年を昭和四十五年と推測しましたが、「病院坂」を照らし合わせていくうちに、その先に「昭和四十三,四年」との記述があるのに気がつきました。

等々力警部自身、「四,五年前のこと」と明言している記述もあり、どうやら私の先の推測は間違っているようです。昭和四十三年か四十四年かわかりませんが、四十五年でないことは確かでありそうです。

それで昭和四十三年か四十四年のどちらなのだろうかということですが、「(前略)昭和四十五年には、遺憾ながら昭和二十八年の事件はすでに時効が成立(中略)あなたはその前後に現職を退かれた(後略)」との、金田一耕助の発言がある以上、昭和四十四年である可能性が高いと云えるでしょう。

昭和四十三年では、昭和四十五年の前後にとはさすがに云えないでしょうから。

以上、ここに訂正いたします。

2008年11月 3日 (月)

書き忘れたこと

それから「転生の章 第3編 関根美穂冒険を決意すること 法眼弥生心臓発作に悩むこと」の冒頭で、

「4月8日といえばどの学校でも学年末試験もすみ、入学試験の発表もおわったあとだが(後略)」

という文が出てくるが、これはとんでもない間違い。期末試験や入学試験の発表どころか新学期が始まる頃である。街にはフレッシュマンが溢れている。

横溝先生もよほど迂闊であるが、編集者も何も指摘しなかったのだろうか。それとも昭和48年当時は(こればっか 笑)・・・

弱点

「病院坂」の照らし合わせもいよいよ鉄也と美穂の若い世代が登場する部分に入ってきたが、横溝正史の弱点とも云えるのが、鉄也や美穂のような若い男女の描写である。

その言動が、年齢よりもばかに幼く描かれることが多いのである。ジュブナイルならともかく、大人向け作品だとそれがばかに浮いているのである。

その一例として、高校を卒業した男が自分の両親を「パパ」「ママ」と呼ぶなんてのがちゃんちゃらおかしいし、「お祖父ちゃま」「お祖母ちゃま」などと「ちゃま」付けで呼ぶなんてのも気持ち悪い。

女の子の言葉遣いにもおかしな点が見られることがある。次の文を読んで、18,9才の女の子の言葉としてどうだろうか。

「自慢じゃないが、あたし少し近視の気味があるのよ」

私なら同じ文をこう書く。

「自慢じゃないけど、あたし少し近視の気味があるのよ」

それとも、昭和48年当時の法眼家や関根家のような上流階級の若者は、一般にこういう言動だったのだろうか。

2008年11月 2日 (日)

横溝正史探偵小説選Ⅲ

論創社のホームページに、次回刊行予定として載りましたが、具体的な発売日時は明記されていません。

まだ当分先のことなのでしょうか。

2008年11月 1日 (土)

等々力警部の定年退職

「病院坂」照らし合わせをしていて気が付いたのだが、「転生の章」冒頭近くに等々力警部が警視庁を定年退職した年が推測できる表現があるのだ。

そのあたりを引用の範囲でちょっと抜粋してみよう。

「(前略)風間第二ビルという(中略)貸しオフィスとして解放したのが一昨昭和四十六年の秋のこと(後略)」

「(前略)等々力警部も(中略)それより少し前に定年退職をして(中略)等々力秘密探偵事務所というのを開設(後略)」

これらよりもうちょっと後には、もっと直接的な描写がある。それは金田一耕助が等々力元警部の内心を推理する場面である。

「(前略)昭和四十五年には、遺憾ながら昭和二十八年の事件はすでに時効が成立(中略)あなたはその前後に現職を退かれた(後略)」

ということで、等々力警部の定年退職は昭和四十五年と推測できる。

ところが問題はその年齢である。昭和四十五年当時の地方公務員(警察官)の定年年齢が何歳であるのか、私は浅学なので知らない。そこで例えば五十五歳定年と考えてみると、等々力警部の生年は大正四年ということになり、金田一耕助より年下(金田一耕助の生年が明治四十五年か大正二年と推定されている。もっとも、削除前の「病院坂」では金田一耕助の生年を明治四十五年と作者自身が推測している)ということになってしまう。

そこで定年年齢を六十歳としてみると当然、生年も五年繰り上がって明治四十三年。なので等々力警部の方が金田一耕助より2,3歳年上ということになる。

この線はだいたい妥当なところではないだろうか。

それにしてもこの場面で金田一耕助は、シャーロック・ホームズばりの推理をしてのける。等々力元警部が何を考えていたのかをずばりと当てるのである。

昭和二十八年、本條直吉が初めて松月に金田一耕助を訪れた時、金田一耕助は本條直吉の商売が何であるか外見を見ただけでは見当がつかなかった。もっともその時の本條直吉は、写真屋以外に闇屋まがいのこともやっていたからその雰囲気が表に出ていたせいもあろうが、金田一耕助も二十年経ってそれだけ成長したということだろうか。

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