「病院坂の首縊りの家」照らし合わせ完了
ずいぶんかかったけれども、土曜日の夜から今日にかけて馬力をかけて頑張ったために、昼前、ついに照らし合わせが完了した。
完了した感想といっても特にないが、思いがけず大量の削除部分があったことに驚いた。さらに加筆もあり、横溝正史先生がこの作品を大事に思っていたことが強く伺われた。
当時のことを思い出してみるに、単行本の発売が遅れたのは、横溝先生のこれらの作業があったからではないだろうか。
私が「病院坂」を通して読んだのは、この単行本によってである。「野性時代」は毎月購入できるほどのこづかいを貰ってはいなかったし、たとえ購入できるだけのこづかいがあったとしても、わざわざ「病院坂」だけ読むためには買うことはしなかっただろう。
それだけに単行本の発売が待ち遠しかったのである。当時はもちろん今と違ってインターネットで発売日を知ることもできず、本屋さんに尋ねることしか出来なかった私は高校生であった。
それに単行本の値段も、当時の私のこづかいで買うには、前もってのかなりの節約が必要であった。今現在所持している本は、発売されたばかりの本を購入し、大事に大事に読み、大切に大切に本棚に収めておいたものである。
帯もカバーもいくらか日に焼けたり色あせたりしているし、シワや折れが目立つようになってしまったが、それでも中身は綺麗なままである。
書店の棚に「病院坂の首縊りの家」の単行本が並んだ日のことを思い出す。
学校帰りにいつもの書店に立ち寄った私は、黒い背表紙の、いつも見なれているのより大きいのが平に積まれているのを見つけた。そばによるとお馴染みの杉本一文先生の描くおどろおどろしい表紙絵が私の目に飛び込んできた。南武風鈴の中に目が描かれたその表紙絵が。
すぐさまそれを手にとって、否、一番上からではなく、2,3冊下から引っ張り出したはずだ、私はレジにそれを持っていった。カバーをかけてもらい、丁寧に学生カバンの中にしまった私は、自転車を飛ばし帰宅した。机の上に本を置き、何度も何度も表紙をめくろうとし、そのたびに手を引っ込めた。すぐに読みたい気持ちとそんなにすぐに読んでしまって良いのかという躊躇する気持ちが拮抗していたのだ。
しばらくそんなことをしていた私はやがて気持ちを固めると、本を机の鍵のかかる引き出しに入れ、鍵をかった。時間のある時にゆっくり読もうと思ったのである。
だから実際に読んだのは、それからしばらくした日曜日だったと記憶している。その日曜日一日かけて読んだのだ。その面白かったことと言ったら! それに最後に金田一耕助が失踪してしまったことが無性に悲しかった。
だが私は知っていた。近いうちに横溝先生の新連載が始まることを。否、知っていたと云うよりも希んでいたことを。それもそう遠いことではないことを。そうしてその時は、今度こそ毎月「野性時代」を購入しようと決意していたことを。
そしてそれは叶えられた。だがそのことはまた別のことである。

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