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半兵衛

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    いかつい顔してます。でも気持ちは柔らかいですよ。 背後の本棚に収まっているのは、角川文庫やらなにやら(笑) 新しい本棚の前で、ちょっと自慢気味?

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2009年3月 7日 (土)

横溝正史縁の地を訪ねる旅 -1-

あまりにも更新の間があいてしまうのはどうかと思い、ちょっとした思い出話を書いてみることにした。それが「横溝正史縁の地を訪ねる旅」である。毎日書くというわけにはいかないだろうしそのつもりもない。更新の間があきすぎることがないための埋め草のつもりである。だから、ときおり思い出したように書いてみることにする。

横溝正史縁の地を訪ねる・・・ということを始めてからもうずいぶんになる。

横溝正史が生まれた地・神戸。その生誕地を訪ねる旅は、5年前の横溝正史生誕地碑の除幕式典に参加しその後川崎造船所周辺を散策したことで果たされた。その時には神戸での最後のお宅があった場所も見ることができた。残念ながら正確な生誕の地は現在は工場敷地内ということもあって見ることもできない。

乱歩に誘われて上京した横溝正史が、そのまま新青年編集部に入社してしまったことは有名な話だが、その時下宿していたのが「牛込神楽館」だ。現在のJR飯田橋駅からもほど近い神楽坂から少し裏道に入ったところにあったらしい。もちろん現在は存在しないが、戦争少し前くらいまではあったという。その住所も判明しているし電話番号までわかっているが、実際に現地へ足を運んでみると、この住所のどこらあたりに建物があったのかが良くわからない。このブログのアルバムにもそこを訪れた時の写真があるが、正確な位置までは断定するに至らなかった。せいぜい60年前には存在していた「牛込神楽館」である。当時を知っている近所の方もまだ存命であろうから、それなりに期待していったのだが残念なことであった。

もちろん、諦めたわけではない。せいぜい60年前と先ほどは書いたが、あるいは60年も前であろう。当時20歳だった方も現在では80歳を越えていることになる。急がなくてはならない。

いまちょっと思い出したが、当時、すぐ近くに浜尾四郎のお屋敷(子爵の住まっていたところだからおそらくお屋敷と書いても違和感のない敷地の広さに建物であったろう)があった。当時の地図を見ると神楽坂近くに「浜尾四郎」の名が見える。

そういえば横溝正史のエッセイで、当時近くに住んでいた浜尾四郎を訪れた(もちろん博文館の編集者として)というような話を読んだことがある。

神楽坂といえば、乱歩も当時近くに住んでいた。歩いて数分のところである。横溝正史と江戸川乱歩という日本探偵小説界の二人の巨頭が若かりし頃、神楽坂を夜毎闊歩していたことを想像すると何とも楽しいではないか。私は神楽坂の華やかな坂道に立って、そんな想いに駆られたことを告白する。

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